2023年9月17日(日) 13:00-17:00
国立新美術館 3階講堂(開場12:30)

開催日程

[ 第1部 ] 13:00 –

基調講演 (ドイツ語、同時通訳付き)

ヴィクトリア・フォン・フレミング(ドイツ・ブラウンシュヴァイク美術大学 教授)
「現代芸術におけるヴァニタスの回帰 — ドイツの芸術学がひらく視座

ヴィクトリア・フォン・フレミング
Victoria von Flemming
ドイツ・ブラウンシュヴァイク美術大学 (Hochschule für Bildende Künste Braunschweig)教授。
中近世美術史、モダン・ポストモダン研究。
編著に「バロック・モダン・ポストモダン——未解明の関係」(2014)、「反復としてのヴァニタス」(2022)など。

ドイツの研究成果をまとめた書籍として、以下の三冊がこれまで出版されています。

Claudia Benthien/ Victoria von Flemming (Hg.), Vanitas, Reflexionen über Vergänglichkeit in Literatur, bildender Kunst und theoretischen Diskursen der Gegenwart (Paragrana Internationale Zeitschrift für Historische Anthropologie, Band 27, 2018, Heft 2), Berlin: De Gruyter
https://www.slm.uni-hamburg.de/germanistik/personen/benthien/downloads/benthien-flemming-vanitas-2018.pdf

Claudia Benthien/ Antje Schmidt/ Christian Wobbeler (Hg.), Vanitas und Gesellschaft, Berlin: De Gruyter 2021
https://www.degruyter.com/document/doi/10.1515/9783110716016/html?lang=de#contents

Victoria von Flemming/ Julia Catherine Berger (Hg.), Vanitas als Wiederholung, Berlin: De Gruyter 2022
https://www.degruyter.com/document/doi/10.1515/9783110761047/html?lang=de#contents

[ 第2部 ] 14:15 –

仲間 裕子(立命館大学 名誉教授)
「〈消滅〉と〈永遠〉の時間・身体 — 杉本博司の死生観とヴァニタス思想 」
<要旨> 杉本博司の「ジオラマ」、「蝋人形」、「ロスト・ヒューマン」のシリーズを、・・・続き

杉本博司の「ジオラマ」、「蝋人形」、「ロスト・ヒューマン」のシリーズを、ヴァニタス思想の視点から考えたい。杉本は17世紀オランダ美術のヴァニタス静物画の迫真的な写実性、写真独自の特性としての「メメントモリ」を重層的に追及するだけでなく、髑髏に代わる近代の死の象徴である剝製動物や蠟人形をモチーフにすることでヴァニタスの伝統に連なる。また政治や科学重視の暴挙がもたらした戦争や自然破壊による消滅─人間の尊大さ─に警鐘を鳴らし、現世から末世へと思考をめぐらす。このように杉本の作品には、時代や宗教を超えて歴史文化的にヴァニタス回帰に通ずる思考回路がみられるのである。杉本は、文化横断的に時間と身体の消滅と永遠性において西洋思想を受容するが、仏教の末法思想に回帰し、浄土を夢見る。「私にとっての西洋の咀嚼とは、自らの日本的霊性の発見であり、またその日本的霊性の西洋の文脈での再提示が私のアートとなり得ていると思われる」(杉本博司『現な像』)とする想いが作品の根底にあるのだろう。

ヴァニタスは時間に還元し、時間の経緯を対象とする。「劇場」や「海景」シリーズなど過去―現在―未来への推移をスキームとしてきた杉本作品への新たな展望を示す。

鈴木 賢子(京都芸術大学 特任准教授)
「畠山直哉の写真における川の表象 — 〈無常〉をめぐる一考察」
<要旨> 本発表では、畠山直哉の写真作品における川の表象と〈無常〉について考察する。・・・続き

本発表では、畠山直哉の写真作品における川の表象と〈無常〉について考察する。岩手県陸前高田出身の畠山直哉は、東日本大震災以降、拠点である東京と行き来しながら、故郷の写真を撮影してきた。

個展「まっぷたつの風景」(2016年11月~2017年1月)では、震災以降数年に渡って撮影された陸前高田の膨大な画像が、時間経過に沿って川の流れのように展示された。その長大な流れの先に配されたのは、陸前高田ではなく、北海道奥尻島の高台から海原を俯瞰する単体写真であった。その写真について畠山はこう語っている。「陸前高田の未来を見た気がした。活気に満ちた華々しい町になることではなく、淡々と人びとの暮らしが営まれていること。それもひとつの未来の姿なのかもしれません。」あまたの人々が亡くなり、時が経ち、生き延びた者もこの世を去る。だが、平凡な日々は続いていくだろう(そうであってほしい)。苦を生み出す根本原因たる無常は反転して、有限な存在であるわれわれの希望や祈りを含む観念となる。この局面に至って、はかなく移ろう日々の物事こそ肯定すべきものとなる。

著作『空蓮房――仏教と写真』(谷口昌良との共著、2019年)において、畠山は無常(生成消滅を繰り返す世界)を川の流れにしばしば喩え、無常とその現れとの逆説的な関係を感覚化する点で、写真を強力な媒体と考える。生成変化する世界の一瞬の現れを切り出し肯定する写真の能力は、上記の「まっぷたつの風景」の展示における無常の反転に、推進力を与えていると言えるだろう。

結城 円(九州大学 准教授)
「写真の間文化的な時間性 — 荒木経惟『TOMBEAU TOKYO』におけるヴァニタスと無常」
<要旨> ドイツの研究において注目されている「現代美術におけるヴァニタス回帰」は・・・続き

ドイツの研究において注目されている「現代美術におけるヴァニタス回帰」は、日本のアーティストの作品についても指摘されている。伝統的なヴァニタス・モチーフのひとつである「花」を捉えた日本人作家の写真作品が、欧米の現代美術分野で「ヴァニタス」として受容される傾向がある。しかし、なぜ日本の作品をヴァニタスと評するのか、その根拠が明確に示されることはない。

本発表では、写真家荒木経惟(*1940年)の写真集『Tombeau Tokyo』(2017年)を例に、日本人作家の花の写真が欧米で「ヴァニタス」として受容される際の翻訳可能性について考察を試みる。この写真集はロサンゼルスのリトル・ビッグ・マン・ギャラリーが、荒木の作品を17世紀のヴァニタスと花の静物画の視点からまとめたものである。同時に、日本では荒木の花の写真は、「無常」という概念にも関連づけられる。このような作品受容がなされる背景を、ヨーロッパと日本の美術史の文脈における女性身体と花の寓意から検証する。また、特に、写真メディア自体がヴァニタス固有の時間性の経験を与えるものであると指摘されている点に着目し、ヴァニタス・無常両方に関連づけられる間文化的な時間性についても考察する。

マーレン ゴツィック(福岡大学 教授)
「ゴミが化石になるとき — 三島喜美代の作品における物質と時間性」
<要旨> 長い間、現代美術の文脈では比較的注目されることの少なかった作家・・・続き

長い間、現代美術の文脈では比較的注目されることの少なかった作家、三島希美代(1932-)。彼女の初期の作品はコラージュが中心だったが、1970年代初頭から主に陶土を素材として作品制作するようになった。その後、火山灰や瓦礫スラグなども材料に加わった。これらの素材を使い、スクリーン印刷の技術を用いて彼女は本物と見紛うしわくちゃになった新聞紙や、空間を占拠している新聞紙の束、広告ポスター、段ボール箱、ボトルや飲料缶、つまり、文字が印刷された消費財を制作している。一部はもとの大きさのままだが、後にはしばしば巨大化されたり、抽象化されたりした作品も含まれている。

 本発表では三島の作品を、前衛陶芸というよりはポップ・アート、トラッシュ・アート、コンセプチュアル・アートの中間に分類されるものと捉え、そこにおける時間性と儚さの意味を考察する。分析の焦点は、作品の形態とモチーフであり、それらはユーモアと自己アイロニーに溢れていながら、ほとんど終末論的な情報の氾濫と消費社会への批判を示唆している。作品分析では「陶」という素材のもつ性質にも注目し、永続性と壊れやすさの間で揺れ動くメディウムの意味もさぐる。

石田 圭子(神戸大学 准教授)
「草間彌生における〈ヴァニタス〉のフェミニズム的転回」
<要旨> 生と死に関する問題は、草間彌生の芸術における最も重要なテーマである・・・続き

生と死に関する問題は、草間彌生の芸術における最も重要なテーマである。彼女の作品は、「自己消滅(self-obliteration)」や「オブセッション」といった言葉を通して、しばしば彼女の病と結びつけられてきた。本発表では、草間の生と死の問題を「ヴァニタス」の観点から再考し、そのフェミニズム的転回について論じる。ここで注目するのは、草間芸術において現在に至るまで一貫して重要なモチーフとなっている植物と花である。特に花は、草間自身のみならず、草間の制作の初期から女性性全般を象徴していると考えることができる。これらのモチーフが草間芸術の中でどのように表現されているかを考察することで、草間芸術において生/死、フェミニズムという2つのテーマが深く関連していることを明らかにする。また、草間彌生の作品におけるフェミニズムは、単なる家父長制への抵抗という次元を超えて、快楽、欲望、そして性を生の基盤と捉えることで、これまで「女性性」とみなされてきたナルシシズムや美の追求といった価値観を人間の普遍的な価値として認識し、ジェンダー二元論や男根的イデオロギーに支配された主体性を否定することを示唆していると主張する。

香川 檀(武蔵大学 教授)
「居場所のはかなさ — イケムラレイコの描く〈妣の国〉と死」
<要旨> ドイツに拠点をおく美術家イケムラケイコの作品は、「少女」「海」・・・続き

ドイツに拠点をおく美術家イケムラケイコの作品は、「少女」「海」「母と子」といったモチーフをとおして、生命の原初のかたちや、現世を超えた宇宙的な自然風景を表現している。その底流には、彼女が子供時代に体験した自然災害の怖しさや、旧弊な日本の家父長制的なイエ制度への反発があった。彼女の表現世界は、住居とか家族といった「居場所」のはかなさの感覚に貫かれているのである。本発表では、まずイケムラが描いた少女の絵画を、ドイツ画壇での新野獣派との差異化として、また海の絵を幼少期の被災体験のトラウマから読み解いたうえで、2008年頃から現れる「母のいる風景」を、イケムラが影響を受けたジュリア・クリステヴァの思想をもとに解釈する。さらに、2011年に日本で起きた大震災のあと制作された一連の写真・絵画・彫刻作品には、死と誕生の循環する時間の表現が見られる。これについて、日本の民俗学者、折口信夫が指摘する、永遠の理想郷としての「母の国」がすなわち「死の国」でもあることや、考古学では地母神信仰の土偶や甕が死者の骨を納めて再生を祈ったものとされていることを参照する。

[ 第3部 ] 16:30 – 17:00

コメントと質疑応答

司会:香川 檀

*会場では空調により足下に冷えを感じる場合がありますので、ブランケットなどをお持ちいただくなど寒さへの対策をお願いいたします。
*会場の座席数は240となっております。